May 11, 2024

キリストとともに

聖家族と聖ベネディクトの戒律とともに歩む

四旬節第三主日2021: オトナのための「天地創造ものがたり」:神は安息日を聖別された

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天地万物は完成され、第七の日に、神はご自分の仕事を離れ、安息なさった。

この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので第七の日を祝福し、聖別された。

これが天地創造の由来である。

(創世記2:1~4)

お元気ですか。ご無事ですか。しぇるりんです。(^ ^)

新型コロナ禍のなか、東京五輪の聖火リレーから「復興五輪」をやる気満々の政権の思惑はいまもうごめいています。

アイルランド、コーク市の聖公会教会の

「うごめく」を漢字で書くと、「蠢く」です。まさに春の地の底で虫たちが春から夏にかけて羽ばたく日にそなえる、という漢字です。

政治家たちはいまも「放射能緊急事態」のなかで苦しむ被災地の方々と被災者を置き去りにしています。しかも、新型コロナパンデミックが終息から程遠いにもかかわらず、東京五輪の中止を言い出せないようです。

パンデミック直前まで、海外旅行や留学、海外赴任などの準備をしていた方もいるでしょう。技能実習生、在日外国人の方で、帰国の準備をしていた方もいたでしょう。

いまからちょうど一年前、2020年3月8日のシカゴ先物取引市場、3月9日のNYダウで「市場価格の下落幅20%を超えた」ため、サーキット・ブレーカーが作動しました。

「パンデミックがアジアだけではなく、全世界に波及し、時代の転換点になる」としぇるりんが感じた瞬間でした。

WHO(世界保健機関)は同年3月12日に、パンデミックを宣言しました。1918年の「スペイン風邪」以来、およそ百年ぶりです。

パンデミック(世界的感染症拡大)は、わたしたちの文化を、時代を、常識を変え続けて来ました。

感染症研究者であり、キリスト者であった野口英世が感染症研究医になったきっかけは、彼の故郷、磐梯郡吾妻村で起きたスペイン風邪の大流行により母を失ったからのようです。

アル中になるほど酒を手放せないまま、黄熱病で亡くなるまで感染症研究を続けた野口英世。当時、海外や港湾(横浜・東京)との接触が少なかったはずの福島県で、スペイン風邪のパンデミックは発生しました。

目の前で亡くなった母や故郷の人々への無念と愛着の思いが、自虐的とも思える無謀な感染症研究へと野口英世を駆り立てたように見えます。

スペイン風邪のパンデミック関連の事柄は、なぜか野口英世の「偉人伝」には決して書かれません。新型コロナ禍が起きて初めて注目されるようになった、20世紀初頭に起きた福島県でのスペイン風邪パンデミックと、野口英世。

今ごろ神のみもとにいるであろう野口英世は、新型コロナ禍をどのように見ているでしょうか。

さて、今日のテーマは天地創造第七の日「安息日」です。

  • 神はご自分の仕事を離れた

しぇるりんなどよりよっぽど敬虔なカトリック信徒、キリスト者である皆さんは、新型コロナ禍以前には毎日曜日かならず、ミサや礼拝に通っていたことでしょう。

たとえ身体は仕事に縛られてミサや礼拝に訪れられなくとも、心は神となんとなくでもキリストとともにあったことでしょう。

正直、週4~5日以上仕事をしながら、日曜日の朝ごとに教会に通うことじたい、ラクではないです。

しぇるりんは2012年まで、週5日定時勤務の仕事と週末の飲食業のバイトを掛け持ちし、日曜日にミサに通ってました。いま思い返すと、あの頃は若かったのか…無茶ぶりに気付いてなかったか…どうだったのでしょう。

新型コロナ禍が訪れ、ある人は失職し、ある人は労働時間と給与が減らされ、学生はバイトの口が見つからず、医療介護従事者は給与補填なきブラック労働にさいなまれているでしょう。

天地創造ものがたりは、わたしたちが現在のグレゴリオ暦が定める「一週間」の起源です。

そして、日曜日はわたしたちにとって「主日 = 主の日」であり、「安息日」です。

《創世記》で神は、「ご自分の仕事を離れた」とあります。

別に、神さまがわたしたちのように「働き過ぎて、疲れたから休んだ」わけではないでしょう。

なにせ、天地創造のはじめから世の終わりまですべての被造物に愛といつくしみを注ぎつづける、わたしたちのみ神です。

「仕事を離れる」ことの大切さを、神は安息日を定めてお教えになったのだとしぇるりんは思うのです。

イエスさまの時代、「安息日に麦の穂を摘み、料理する」ことすら厳密なユダヤ教の律法では罪でした。

《出エジプト記》には、「これは主が行うよう命じられた言葉である。六日の間は仕事をすることができるが、第七の日はあなたたちにとって聖なる日であり、主のもっとも厳かな安息日である。その日に仕事するものはすべて死刑に処せられる。安息日には、あなたたちの住まいのどこでも火をたいてはならない。(出エジプト記35:1~3)とあるからです。

つまり、主の日、安息日とは本来「疲れよね?休んでいいよ。」という消極的な休息の勧めではないのです。

むしろ、第七の日は「仕事をすること、させることは死刑該当」の罪なのです。神さまが「仕事を離れた」のは、安息日には、「天地創造の仕事を離れる」を神みずから実践されたのです。

「仕事を離れる」とはただ「仕事をしないで、散歩に行こう」という意味ではありません。

本来は、主婦/主夫や子どもたちですら、料理や水汲みなどの心配をせず、神さまと対話に安息日をささげるため、すべての人が生活の雑音を最低限にするのが天地創造第七の日である「安息日」の本来の意義です。

戦前は「月月火水木金金」と国民に歌わせ、狂気のように「仕事から離れない」よう洗脳し、今もコンビニが24時間365日営業しているのが、近現代日本社会の現実です。

「週に一日、24時間だけ仕事のことをまったく考えない自分のための日を持て」と言われても不可能に思えます。

ためしに、ミサまたは礼拝の一時間、仕事も職場も家事も家の雑用も「目の前の緊急事態(災害発生時)」以外の雑念を抱かない…にチャレンジしてみてください。

はじめは、奉納と聖体拝領後の祈りの数分から挑戦してみましょう。寝入る前や仕事の合間の数分でもいいです。

あらゆる「仕事、儲け、交換、学業」など「週の六日間している」自分を、まるで他人ごとのように、明日、帰天しても悔いのない人のように眺めるのです。

仏教では「執着から離れる」ことを悟りへの要諦としているようです。

キリスト教では、「安息日に神を覚える」ことは、ただ単に自らへの執着から離れるだけではありません。

「執着から離れよう」ともがけばもがくほど、自己愛という本能的かつ心理的なワナに囚われがちになるでしょう。

「愛といつくしみの源である神を愛するあまりに、自分をだいぶ忘れる」のです。忘れた自分の執着は、神との愛の絆のなかで抜け落ちて行くでしょう。

「思い出したくない嫌なことは、忘れたら二度と思い出さなくなる」「神への愛と信頼への思いは、安らぎに満ちている」を同時に実現するのがキリスト教の教えなのです。

わたしたちは愛といつくしみの源である神との信頼を取り戻すために自分自身を霊的ないけにえとして神に捧げます。

キリストの十字架のいけにえを通じてあがなわれた原罪の重さを超えて、わたしたちはみ神への愛を信頼し、自分を忘れることで、少しずつ真の霊的安息へと近づけるでしょう。

これは、「イヤなことは忘れたい」「甘美な思いは、永遠のように思いたい」人間の心理にもうまく合致します。

安息日、主日、日曜日は、わたしたちが神への愛と信頼のために自分のすべてを捧げるため、「仕事から離れる」日なのです。

  • 第七の日を祝福し、聖別された

さて、神さまは単純に人間が過労で短命にならず、何かへの依存状態から脱却し、「仕事から離れ」、「神さまへの愛から離れないよう」安息日を定められたのではないでしょう。

「わたしはねたむ神」とまで仰せになるほど、父なる神はつくられた全ての被造物を愛しておられます。

だからこそ、安息日をただ定めるだけでなく、「祝福し、聖別された」のでしょう。

「神は祝福し、聖別する」とは、「神さまが受け入れてくださるであろう特別サービス」です。

わたしたちはよく「XXの願いを訊きとどけて下さるなら、神を信じます。感謝します」と、神さまに交換条件を持ちかける祈りをしがちです。

神さまは、わたしたち被造界や被造物と「交換」をしません。なぜなら、神は愛といつくしみに満ちておられ、被造界と被造物に怒られず、ただ愛されるからです。

天地創造第七の日は、神さまが無条件に「仕事を離れ」て、被造界や被造物の祈りを聴いてくださる日でもあります。

21世紀の日本社会の感覚で言うと、「仕事を離れて、神さまとお茶飲み話」をするため、「きわめて神聖な日」を七日に一回持つよう、定められたのです。

現代人は古代人よりきっと、ストレスにさいなまれています。ストレスを何らかの依存物質の摂取過多で忘れたいという欲求もまた、かなり古代から知られています。

実際、ピラミッド建設の労働者は、ムチで奴隷的に使役されたワケじゃない側面があります。労働者の俸給が、大好物の聖なる飲み物、ビールだったのです!

歓楽を報酬としたエジプトの巨大建築物を作り続ける多神教は、森林資源の枯渇、砂漠化と財政難により衰退し、地上から消滅しました。

わたしたちの神は、安息日である主日を祝福し、聖なるものとされ、「仕事から離れる」ことで生き続けること、いずれ死を迎える人が世の終わりまで次の世代のために生き、働き続けるストレスを溜め込まないよう、「休む義務」を課しました。

キリスト者として召し出しを受けたわたしたちは、見えない神への愛と信頼の中で、狂気としか思えない日々の営みの辛苦、生きるための努力を放棄したい欲求から、定期的に離れるよう召されています。

「仕事から離れる」って、あんがい難しいですよね?どうでしょう。

最初から「一日」ではなく、まずは一日数分~から始めてみてはいかがでしょうか。

ご自愛ください。日本のパンデミックはこれからが正念場です。

天地万物は完成され、第七の日に、神はご自分の仕事を離れ、安息なさった。

この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので第七の日を祝福し、聖別された。

これが天地創造の由来である。

(創世記2:1~4)

お元気ですか。ご無事ですか。しぇるりんです。(^ ^)

新型コロナ禍のなか、東京五輪の聖火リレーから「復興五輪」をやる気満々の政権の思惑はいまもうごめいています。

「うごめく」を漢字で書くと、「蠢く」です。まさに春の地の底で虫たちが春から夏にかけて羽ばたく日にそなえる、という漢字です。

政治家たちはいまも「放射能緊急事態」のなかで苦しむ被災地の方々と被災者を置き去りにしています。しかも、新型コロナパンデミックが終息から程遠いにもかかわらず、東京五輪の中止を言い出せないようです。

パンデミック直前まで、海外旅行や留学、海外赴任などの準備をしていた方もいるでしょう。技能実習生、在日外国人の方で、帰国の準備をしていた方もいたでしょう。

いまからちょうど一年前、2020年3月8日のシカゴ先物取引市場、3月9日のNYダウで「市場価格の下落幅20%を超えた」ため、サーキット・ブレーカーが作動しました。

「パンデミックがアジアだけではなく、全世界に波及し、時代の転換点になる」としぇるりんが感じた瞬間でした。

WHO(世界保健機関)は同年3月12日に、パンデミックを宣言しました。1918年の「スペイン風邪」以来、およそ百年ぶりです。

パンデミック(世界的感染症拡大)は、わたしたちの文化を、時代を、常識を変え続けて来ました。

感染症研究者であり、キリスト者であった野口英世が感染症研究医になったきっかけは、彼の故郷、磐梯郡吾妻村で起きたスペイン風邪の大流行により母を失ったからのようです。

アル中になるほど酒を手放せないまま、黄熱病で亡くなるまで感染症研究を続けた野口英世。当時、海外や港湾(横浜・東京)との接触が少なかったはずの福島県で、スペイン風邪のパンデミックは発生しました。

目の前で亡くなった母や故郷の人々への無念と愛着の思いが、自虐的とも思える無謀な感染症研究へと野口英世を駆り立てたように見えます。

スペイン風邪のパンデミック関連の事柄は、なぜか野口英世の「偉人伝」には決して書かれません。新型コロナ禍が起きて初めて注目されるようになった、20世紀初頭に起きた福島県でのスペイン風邪パンデミックと、野口英世。

今ごろ神のみもとにいるであろう野口英世は、新型コロナ禍をどのように見ているでしょうか。

さて、今日のテーマは天地創造第七の日「安息日」です。

  • 神はご自分の仕事を離れた

しぇるりんなどよりよっぽど敬虔なカトリック信徒、キリスト者である皆さんは、新型コロナ禍以前には毎日曜日かならず、ミサや礼拝に通っていたことでしょう。

たとえ身体は仕事に縛られてミサや礼拝に訪れられなくとも、心は神となんとなくでもキリストとともにあったことでしょう。

正直、週4~5日以上仕事をしながら、日曜日の朝ごとに教会に通うことじたい、ラクではないです。

しぇるりんは2012年まで、週5日定時勤務の仕事と週末の飲食業のバイトを掛け持ちし、日曜日にミサに通ってました。いま思い返すと、あの頃は若かったのか…無茶ぶりに気付いてなかったか…どうだったのでしょう。

新型コロナ禍が訪れ、ある人は失職し、ある人は労働時間と給与が減らされ、学生はバイトの口が見つからず、医療介護従事者は給与補填なきブラック労働にさいなまれているでしょう。

天地創造ものがたりは、わたしたちが現在のグレゴリオ暦が定める「一週間」の起源です。

そして、日曜日はわたしたちにとって「主日 = 主の日」であり、「安息日」です。

《創世記》で神は、「ご自分の仕事を離れた」とあります。

別に、神さまがわたしたちのように「働き過ぎて、疲れたから休んだ」わけではないでしょう。

なにせ、天地創造のはじめから世の終わりまですべての被造物に愛といつくしみを注ぎつづける、わたしたちのみ神です。

「仕事を離れる」ことの大切さを、神は安息日を定めてお教えになったのだとしぇるりんは思うのです。

イエスさまの時代、「安息日に麦の穂を摘み、料理する」ことすら厳密なユダヤ教の律法では罪でした。

《出エジプト記》には、「これは主が行うよう命じられた言葉である。六日の間は仕事をすることができるが、第七の日はあなたたちにとって聖なる日であり、主のもっとも厳かな安息日である。その日に仕事するものはすべて死刑に処せられる。安息日には、あなたたちの住まいのどこでも火をたいてはならない。(出エジプト記35:1~3)とあるからです。

つまり、主の日、安息日とは本来「疲れよね?休んでいいよ。」という消極的な休息の勧めではないのです。

むしろ、第七の日は「仕事をすること、させることは死刑該当」の罪なのです。神さまが「仕事を離れた」のは、安息日には、「天地創造の仕事を離れる」を神みずから実践されたのです。

「仕事を離れる」とはただ「仕事をしないで、散歩に行こう」という意味ではありません。

本来は、主婦/主夫や子どもたちですら、料理や水汲みなどの心配をせず、神さまと対話に安息日をささげるため、すべての人が生活の雑音を最低限にするのが天地創造第七の日である「安息日」の本来の意義です。

戦前は「月月火水木金金」と国民に歌わせ、狂気のように「仕事から離れない」よう洗脳し、今もコンビニが24時間365日営業しているのが、近現代日本社会の現実です。

「週に一日、24時間だけ仕事のことをまったく考えない自分のための日を持て」と言われても不可能に思えます。

ためしに、ミサまたは礼拝の一時間、仕事も職場も家事も家の雑用も「目の前の緊急事態(災害発生時)」以外の雑念を抱かない…にチャレンジしてみてください。

はじめは、奉納と聖体拝領後の祈りの数分から挑戦してみましょう。寝入る前や仕事の合間の数分でもいいです。

あらゆる「仕事、儲け、交換、学業」など「週の六日間している」自分を、まるで他人ごとのように、明日、帰天しても悔いのない人のように眺めるのです。

仏教では「執着から離れる」ことを悟りへの要諦としているようです。

キリスト教では、「安息日に神を覚える」ことは、ただ単に自らへの執着から離れるだけではありません。

「執着から離れよう」ともがけばもがくほど、自己愛という本能的かつ心理的なワナに囚われがちになるでしょう。

「愛といつくしみの源である神を愛するあまりに、自分をだいぶ忘れる」のです。忘れた自分の執着は、神との愛の絆のなかで抜け落ちて行くでしょう。

「思い出したくない嫌なことは、忘れたら二度と思い出さなくなる」「神への愛と信頼への思いは、安らぎに満ちている」を同時に実現するのがキリスト教の教えなのです。

わたしたちは愛といつくしみの源である神との信頼を取り戻すために自分自身を霊的ないけにえとして神に捧げます。

キリストの十字架のいけにえを通じてあがなわれた原罪の重さを超えて、わたしたちはみ神への愛を信頼し、自分を忘れることで、少しずつ真の霊的安息へと近づけるでしょう。

これは、「イヤなことは忘れたい」「甘美な思いは、永遠のように思いたい」人間の心理にもうまく合致します。

安息日、主日、日曜日は、わたしたちが神への愛と信頼のために自分のすべてを捧げるため、「仕事から離れる」日なのです。

  • 第七の日を祝福し、聖別された

さて、神さまは単純に人間が過労で短命にならず、何かへの依存状態から脱却し、「仕事から離れ」、「神さまへの愛から離れないよう」安息日を定められたのではないでしょう。

「わたしはねたむ神」とまで仰せになるほど、父なる神はつくられた全ての被造物を愛しておられます。

だからこそ、安息日をただ定めるだけでなく、「祝福し、聖別された」のでしょう。

「神は祝福し、聖別する」とは、「神さまが受け入れてくださるであろう特別サービス」です。

わたしたちはよく「XXの願いを訊きとどけて下さるなら、神を信じます。感謝します」と、神さまに交換条件を持ちかける祈りをしがちです。

神さまは、わたしたち被造界や被造物と「交換」をしません。なぜなら、神は愛といつくしみに満ちておられ、被造界と被造物に怒られず、ただ愛されるからです。

天地創造第七の日は、神さまが無条件に「仕事を離れ」て、被造界や被造物の祈りを聴いてくださる日でもあります。

21世紀の日本社会の感覚で言うと、「仕事を離れて、神さまとお茶飲み話」をするため、「きわめて神聖な日」を七日に一回持つよう、定められたのです。

現代人は古代人よりきっと、ストレスにさいなまれています。ストレスを何らかの依存物質の摂取過多で忘れたいという欲求もまた、かなり古代から知られています。

実際、ピラミッド建設の労働者は、ムチで奴隷的に使役されたワケじゃない側面があります。労働者の俸給が、大好物の聖なる飲み物、ビールだったのです!

歓楽を報酬としたエジプトの巨大建築物を作り続ける多神教は、森林資源の枯渇、砂漠化と財政難により衰退し、地上から消滅しました。

わたしたちの神は、安息日である主日を祝福し、聖なるものとされ、「仕事から離れる」ことで生き続けること、いずれ死を迎える人が世の終わりまで次の世代のために生き、働き続けるストレスを溜め込まないよう、「休む義務」を課しました。

キリスト者として召し出しを受けたわたしたちは、見えない神への愛と信頼の中で、狂気としか思えない日々の営みの辛苦、生きるための努力を放棄したい欲求から、定期的に離れるよう召されています。

「仕事から離れる」って、あんがい難しいですよね?どうでしょう。

最初から「一日」ではなく、まずは一日数分~から始めてみてはいかがでしょうか。

ご自愛ください。日本のパンデミックはが正念場です。

3月7日(日・主・紫) 四旬節第3主日

第一朗読: 出エジプト記20章1-17 △ 20・1-3,7-8,12-17節

答唱詩篇:124(詩編19・8,9,10)

第二朗読: 一コリントの信徒への手紙1章22-25節 

詠唱260(第3 主日B)(ヨハネ3・16)

福音朗読: ヨハネによる福音書2章13-25節

(カトリック中央協議会《教会暦と聖書朗読2021年B年》より引用しました。)

動画配信情報(3月5日午後時点):敬称ほぼ略

緊急事態宣言中・医学的パンデミック中は、公開ミサ全面中止、動画ミサ配信のみの小教区・教区・大教区もあります。体調に不安のある方、高齢者と同居されている方だけでなく、教会共同体への愛のためにも、ご自宅で安心してあずかれる動画ミサで教会の祈りに参加しましょう。詳しくは所在地の教区、大教区の教区長、小教区主任司祭および教会委員会のガイドラインをご確認ください。

カトリック東京大司教区

登録チャンネル: こちら

2021年四旬節 菊地功大司教メッセージ

こちら

「週刊大司教第十七回 四旬節第二主日」

こちら

カトリック関口教会

四旬節第3主 3月7日10:00

こちら 

司式:タルシチオ菊地功大司教

性虐待被害者のための祈りと償いの日

「思い続ける3.11」オンライン 東日本大震災~犠牲者・被災者・避難者のために祈るつどい~

こちら

追悼・復興祈念ミサ

司式 タルチシオ菊地功大司教,S.V.D

St.Ignatius Catholic Church, Tokyoカトリック麹町 聖イグナチオ教会(旧:聖イグナチオ教会事務室)

聖イグナチオ教会オンライン入門講座(34)キリスト者の生き方(3)-運命と試練(2月27日(土)AM9:00配信済)

こちら


日本聖書教会発行の《新共同訳 新旧約聖書続編付き》をお手元にご準備ください。受洗に関しては従前通り、近隣の小教区司祭にご相談ください。

7/03/2021(日) 10 AM 『四旬節第 3 主日 ミサ (B年)』

こちら

7/03/2021, 12 PM, 3rd Sunday of Lent, Sunday Mass Live Streaming – 12 noon (英語ミサ)

HERE

Please register “St.Ignatius Catholic Church, Tokyoカトリック麹町 聖イグナチオ教会” for further information. 

7/03/2021, 3 PM Thánh lễ Chúa Nhật III Mùa Chayngày 7 tháng 3 lúc 15h (ベトナム語ミサ)

đây


Với những thông tin về các Thánh Lễ được phát trên YouTube sắp tới đây, xin vui lòng đăng ký vào trang của 『St.Ignatius Catholic Church, Tokyoカトリック麹町 聖イグナチオ教会』( Văn Phòng Nhà Thờ Thánh Inhaxio)

San Ignacio, Tokio, Centro Loyola

Registrar canal: Aquí

7/03/2021, 1:30 PM, Tedcer Domingo De Cuaresma, Liturgia Del Domingo(スペイン語ミサ)

Aquí

Por favor regístrese  “San Ignacio, Tokio, Centro Loyola.

カトリック高円寺教会

チャンネル登録:こちら

ミサ配信・カトリック高円寺教会(2021/02/28 09:30)

こちら

カトリック高円寺教会さんのミサライブ配信をやっと見つけました。😅

カトリック吉祥寺教会 青年会若葉

チャンネル登録:こちら

カトリック吉祥寺教会は、上記の大祝日には入場者制限があるため青年会がライブ配信する、とのことです。

カトリック碑文谷教会

チャンネル登録:こちら

カトリック葛西教会チャンネル

チャンネル登録:こちら 

四旬節第3主日ミサ・ライブ配信~2021年3月7日(日)9時 カトリック葛西教会

こちら

江戸川区近辺の皆さま、カトリック葛西教会のミサ・ライブ配信を確認しました。

カトリック潮見教会(Shiomi Kyokai Channel)

チャンネル登録:こちら

【カトリック潮見教会 四旬節第二主日】

こちら

尊者エリザベト北原玲子を守護の聖人とする、おなじみカトリック潮見教会さんが動画ミサ配信をしているのをやっと見つけました。


横浜教区(登録チャンネル名:catholicyamate)

カトリック山手教会 四旬節第3主日

(2021年3月7日、11:25~ライブ配信)

こちら

3rd SUNDAY OF LENT

(7th March 2021, 9:25~Live Streaming)
HERE

カトリック末吉町教会
登録チャンネル:こちら

2021年2月28日 四旬節第二主日ミサ

こちら 

2021年2月28日 11:00 十字架の道行き

こちら

カトリック保土ヶ谷教会

登録チャンネル:こちら 

2021年3月7日 四旬節第3主日

こちら

2021年3月7日 四旬節第3主日ミサ(10:00~)

こちら


カトリック鍛冶ケ谷教会青年会

チャンネル登録: こちら

四旬節第2主日 ミサ 生配信(2月27日9:50~)

こちら

カトリック鍛冶ヶ谷教会の青年会が10月25日~ 8:30にライブ配信しております。灰の水曜日のミサもライブ配信になる予定です。

カトリック大船教会

登録チャンネル:こちら

【ミサ】四旬節第3主日 2021年3月7日(9:30~配信)

こちら

yukinoshita church(カトリック雪ノ下教会)

チャンネル登録:こちら

カトリック雪ノ下教会(2021年2月27日)

こちら

カトリック平塚教会

チャンネル登録:こちら 

四旬節第3主日(3月7日 9:30)

こちら

カトリック平塚教会さんは、動画配信履歴は復旧していました。

カトリック鷺沼教会

チャンネル登録:こちら

2021/02/28 四旬節第2主日のミサ

こちら

カトリック鷺沼教会およびサレジアン・ファミリーと協力会のみなさん、長澤師が四旬節第2主日ミサの配信をしておられるのを確認しました。

カトリック二俣川教会

登録チャンネル:こちら

四旬節第2主日の聖書朗読・お説教録画四(2021年2月28日)

こちら

カトリック二俣川教会ホームページからも見られます。

カトリック太田教会(さいたま教区、群馬県)

チャンネル登録:こちら

カトリック太田教会 四旬節第2主日ミサ(B年)

こちら

さいたま教区(群馬県)のカトリック太田教会さんのミサ動画配信を確認しました。遅れてすみません。

札幌教区「日ごとの福音テレビ」

B年・四旬節第3主日のミサ・日ごとの福音テレビB

こちら

カトリック新潟教区

チャンネル登録: こちら

カトリック広島教区「平和の使徒推進本部」Catholic Hiroshima Diocese

広島教区ライブミサ配信は、カトリック幟町教会チャンネルさんが主体です。世界平和記念聖堂が、とても美しいです。

カトリック幟町教会の登録チャンネル:こちら

2021年3月7日 カトリック幟町教会 – 四旬節第3主日(B年)ミサ –

こちら

Diocese of Fukuoka カトリック福岡司教区

ヨゼフ・アベイヤ司教 2021年四旬節メッセージ Lent Message 2021, Bishop of Fukuoka (2021年2月17日・灰の水曜日に)

こちら

マルチェロ ジョン・ウォンチョル師 司祭叙階式(2021年3月20日)

こちら

정원절 마르첼리노 부제의 사제 서품식이 3월 20일에 있습니다. 기도 부탁드립니다. 

司祭叙階式のお知らせがあります。

直方カトリック教会の動画

チャンネル登録:こちら

22021年2月28日(日)四旬節第2主日のミサ(9:00~配信)

こちら

カトリック田川教会・直方教会の信徒の方には「聖書と典礼」を郵送している、と灰の水曜日の告知にあります。まだ受け取っていない方は、ご連絡ください、とあります。

京都洛北ブロック主日ミサ

登録チャンネル: こちら

四旬節第2主日2021年2月27日)

こちら

カトリック名古屋教区- Nagoya Diocese

登録チャンネル: こちら

福者ユスト高山右近記念日ミサ(2021年2月3日13:00~)

こちら

福者ユスト・高山右近記念日ミサがカトリック名古屋教区からライブ配信になります。ぜひ、動画配信でご参列ください。 

カトリック岐阜教会

登録チャンネル:こちら

2021年2月28日  四旬節第2主日 B年

こちら

フリッツ神父司式

カトリック鹿児島教区

登録チャンネル:こちら 

「教区の日」記念ミサ(2月25日19時配信済)

こちら

ザビエル教会にて、中野裕明司教の司式で行われました。

Roman Catholic Archdiocese of Nagasaki

カトリック長崎大司教区登録チャンネル:こちら

日本二十六聖人殉教記念ミサ・カトリック長崎大司教区

こちら

カトリック黒島教会福音宣教部

チャンネル登録:こちら

カトリック司祭・修道院の登録チャンネルのご紹介;

名古屋教区内 

Kataoka Yoshihiroチャンネル登録: こちら

Hiro Francisco(カトリック大和高田教会)

チャンネル登録:こちら

新型コロナ感染症の奈良県内での拡大に伴い、1月21日~カトリック大和高田教会(京都司教区)は非公開動画ミサ配信を開始、公開ミサは灰の水曜日~とのことです。

Sacra Familia Osaka

(サグラダファミリア・カトリック大阪梅田教会)
チャンネル登録:こちら

四旬節第2主日(2021年02月28日 – 赤波江神父)

こちら

Second Sunday Lent Mass 28/02/2021

HERE

カトリック大阪梅田教会さんのミサ配信続いてます。大阪大教区の皆さん、大阪人のみなさん、ぜひチャンネル登録お願いします!

カトリック和歌山紀北教会-屋形町聖堂

チャンネル登録:こちら

ミサ(四旬節第3主日)

(2021年3月7日、10:15~ライブ配信)

こちら

大阪教区のカトリック和歌山紀北教会-屋形町聖堂さんの動画配信を確認しました。

Antonio Lee, OP(カトリック松山教会)

チャンネル登録:こちら

ミサ(四旬節第二主日2021年2月28日ライブ配信)

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愛媛県のカトリック松山教会(ドミニコ会)のアントニオ・リーOPのミサ配信を確認しました。

聖パウロ修道会サンパウロ

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ヨセフ山内重夫修道士の通夜(2021年2月26日17:55~ライブ配信予定)

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ヨセフ山内重夫修道士の葬儀ミサ・告別式(2021年2月27日12:55~ライブ配信予定)

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【森司教の世界】富がもたらす宗教の空洞化(四旬節第3主日)3月3日配信済

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帰ってきた【森司教の世界】です!お楽しみに!

主日も平日も「ぼっちミサ」へどうぞ!
小立花忠チャンネル: こちら

毎日、平日・主日ミサなら「ぼっちミサ」カトリック彦根教会の小立神父司式でどうぞ!

迫真のぼっちミサ、ついにB年まで続いています。基礎疾患がある、平日ミサがないとどうも元気の出ない方はぜひどうぞ!

Gerard GOUINEAUグイノジェラール

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🗣️四旬節第2主日📖 2021年2月28日 説教

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淡路島唯一のカトリック教会、カトリック洲本教会主任司祭グイノ神父チャンネルです。福音宣教の窓の作り込みへの意気込みがスゴい!です。

今日のしぇるりんイチオシ動画

2021年四旬節黙想会 信仰による霊的な道

(2021年2月17日)

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レデンプトール会のロジェ・ブロヴァンシェ神父による2021年四旬節黙想会です。

🗣️【四旬節-黙想会】講師はグイノ・ジェラール神父(パリミッション会)🕯️カトリック洲本教会2021年2月28日テーマ「キリストの受難」pieta 憐みの聖母像

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ちかごろマイブームのジェラール神父の四旬節黙想会です。

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