May 10, 2024

キリストとともに

聖家族と聖ベネディクトの戒律とともに歩む

著者について

少女マンガ《ベルサイユのばら》を読んだ中1の時に、なぜかジャン・ジャック・ルソーの《人間不平等起源論》《社会契約論》を読んで哲学が好きになり、宗教人類学を修士までおさめました。哲学と鉄鍋が好きなしぇるりんです。

1980〜1983に米国に飛び出してMount Ellis Academyを卒業。1989年に韓国で 漢陽大学の学部時代に決心してカトリック教会で受洗しました。その後は、迷いつつ、悩みつつ結婚、出産後、離婚して、日本に帰国しました。

ある個人的なきっかけから2012年に長野県にあった三位一体聖ベネディクト修道院を訪れるようになり、観想の祈りに目覚め、レクチオ・ディビナについて1年間の教区のコースを履修しました。

発達障害と場面緘黙症、あらゆる孤立と社会的な十字架を担いながら何かに取り憑かれたかのように、ブログ書きをはじめました。

時に挫折しながらも、書き続けることを目安に週二回更新で続けて来ました。気づいた時には、日本語のカトリック系ブログを書き続けているのは、いつのまにか減っていきました。

日本のニフティー・ブログで書きはじめて八年目に、転機が訪れます。やはり、無料ブログ・サービスの利用はいつサービス停止になるかも分からない上、自分の著作権を守り、インターネット上にある社会的干渉を避けるため、有料サーバーと独自ドメインの必要を感じていた時に、ちょうど2020年秋、新型コロナ(COVID-19)の時期にレンタル・サーバー利用料金がちょっと安くなりました。

チャンスだ、と思いました。動画・ライブミサ配信情報の検索・告知など、新型コロナの影響で、このブログにも新しいステージが見えていました。

インターネット・メディアがこれから福音宣教でどのような役割を果たして行くのか、しぇるりんには分かりません。

言えるのは、各小教区、教区・大教区、インターネット福音宣教に積極的な男女それぞれの修道会、個別の司祭や修道者と信徒がインターネット福音宣教で果たせる役割はそれぞれ「みんな違って、みんないい」ということです。

初めの日の「信徒にしかできない、インターネット福音宣教」への気持ちはいまも変わりません。10才から断続的に続く偏頭痛、8年間、脳挫傷、うつ病、新型コロナなど「ブログ更新をやめても自分に言い訳ができる理由」はしぇるりんにありました。

それでも、聖母はこの手の小さな働きを止めないよう、導いてくださいました。

有料レンタルサーバーとドメインを使うと同時に、アフィリエイト広告が表示されます。多少でも広告収入をブログを通じて稼がないと、しぇるりんもブログを書き続けられないからです。

新型コロナ禍で、動画・ライブ配信ミサが行われるようになり、霊的聖体拝領にあずかるなど、2020年以前に考えてもいなかった事態が、ローマ教会全体に起こりました。

小教区・教区・大教区、司祭・司教・大司教・枢機卿・修道会・修道院、そして教皇フランシスコに至るまで、置かれた場所で、時々刻々と新型コロナの時代と使徒の時代に由来する福音宣教の方針を急激に変えざるを得なくなりました。

新型コロナ後に、カトリック教会は新たに生まれ変わるでしょう。対面のミサで、パンのかたちでご聖体をいただき、クリスマスやイースターのパーティーの日常生活は生き延びた人々には戻ってくるでしょう。でも、帰天された方々は二度と戻りません。日曜学校、教会ボランティアや聖歌隊も、新たなメンバーで再開することになるでしょう。

インターネット福音宣教への評価への是非への判断を下すのもまた、新型コロナの医学的パンデミックの世界的終息後になるでしょう。

いまはウィルスが各国の国境をとざし、「公開ミサ」という新型コロナ以前の当たり前の日常生活をいっぺんさせました。と同時に、「動画ミサが我が家にやって来た」のも確かです。教会まで足を運ぶ熱意をもてない家族が、動画ミサに加わり、いっしょに主の祈りを唱えられるようになりました。

しぇるりんは、しぇるりんに果たせる小さな手の働きを続けたいと思います。いつか、インターネット・メディアが既存出版メディアを変貌させる日をこの目で見たいと思います。

2021年2月7日

年間第五主日に

しぇるりん

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